正義感


自分の正義と他人の正義

正義感について考えてみましょう。

正義感 というとどんなことをイメージしますか?
辞書でひくと「不正を憎み、正義を尊ぶ気持ち」とありますが、ではいったい「不正」ってなんでしょう?

「不正」があるということは、いったい「正しい」とはどういうことでしょう?
自分の思う正義(正しいと思うこと)と他人の思う正義(正しいと思うこと)はどう違うのでしょうか?

1.正しいとは?

ひとつの考え方が「正しい」か「正しくない」かは、その時代の社会的真実性(ソーシャル・リアリティ)によって決まります。その社会や文化によって決まるのです。

普遍的な正義は人の命を大切にすることだと思いますが、それさえも戦争の場では 相手(敵方)の命を奪うことが正義になってしまうのです。

テロを起こす人、起こされる人、たとえばアルカイダ側は9.11のテロ事件もジハード(聖戦)だと言って 正当化していましたね。
織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も各々自分が正しいと思っていたでしょう。
法律が変わればまた「正しい」も変わります。
変わった法律を違反すれば「不正」になるのですから。

しかし、その法律自体が本当に「正しい」かどうかは何を目的にして考えたかによって異なります。 時の権力者が独裁で法律を決めたとしたら、果たしてそれが万人のための正義であるかどうかわかりません。

それくらい何が正しいか正しくないかは誰の何のために何のためかによっても異なります。

2.日常生活で思う正義感のちがい

自分が正しいと自信を持って前進していくことはいいことです。
しかし周囲の人に反対されたり、それは止めろと言われると自分の考えがグラついてくることがあります。

このことは集団心理学のなかで実証されていて「人は集団圧力に弱い」ことが証明されています。
しかし、近年では生活の多様化が進み、各々ちがった意見も個性として尊重されるようになり、個人が自由に自分の意見を言えることができ、自分に合った
ライフスタイルを実現できるようになりました。
それが許されるようになったのです。
これはいいことです。 ただ、それだけに意見のちがいでぶつかり合うこともトラブルになることも増えたのかもしれません。

たとえば、嫁姑の関係、夫婦の関係、親子の関係「嫁なんだから○○するのが当然」と姑が自分の意見が正しいと言っても嫁にしたら「それは昔の習慣、いまはちがいます!」と自分の意見が正しいと反論する光景はよくみられます。

「妻なんだから~~するべき」「夫なんだから~~で当たり前」と いったように、どうも個人の固定観念のちがいが正しいかどうかを決めているようです。

3.正義感の押しつけはよくない

この場合、お互いに一度自分の固定観念を外してみる必要がありそうです。

相手と自分がどのような目的のために話し合っているのか?原点に返ってみるといいですね。
正しい、正しくない、の判断基準がずれていることがあるからです。

何を基準に考えているか?何の目的のためにどうしたいのか?明確にしてみると見えてきます。

お互いによくなるため、快適な暮らし、良い人生を送ることが目的ならそのために何を優先して何を正しいこととし、正義にしていくかがおのずと決まってくるでしょう。
しかし、このとき何かに執着していると前に進めないことがあります。こだわりです。

4.ビジネスが絡むとさらに正義はむずかしくなる?

ビジネスには利益の追求という目的があります。

すると、そのためには利益を考慮しなかった場合の正義と追及した正義とで少し正義が変わってきます。それが資本主義経済の難しいところでもありますが、ここには解決法があります。

それは利益を得たものがそれを自分だけで享受せずに他へ還元するということなんです。

このとき人間の強欲、傲慢といった生々しい部分が顔を出してくるのでしょう。
財力、権力にものを言わせ、弱いものを抑圧しようとする、彼らの言い分は『ここまで必死にやったんだから当然だよ』というでしょう。

彼らの正しいと弱者の正しいはちがってきます。 本当に経済の問題は昔も今も難しいですね。
強い人、弱い人、どちらもいて当たり前ですし、いつ立場が逆転するかわからないのです。
家族や親せき、友人が弱い立場になることもあります。
だからこそ自分と反対の立場の人のことも考えて正義を決めるようにしたいものです。
「自由と平等」という難しい問題にも関連しています。

自分勝手、利己主義的な言動を「正義」だと振りかざして、人を支配しようとすることは決して正義ではありません。
少なくとも「正義」とは公平であることです。人に対しては人権があります。
人を優劣で差別したり、勝ち負けで区別したり、比べて弱者をつくる社会は正義ではありません。
人はみな対等でその人権は守られています。
誰かを犠牲にして誰かが富を得ることも正義ではありません。
犠牲にすると不満が暴動を起こし平和を損ねます。暴動がいけないのではなくて、それを起こさせた不平等、不公平、偏った利権がいけないのです。
そのしくみ、システムがいけないのです。既存の競争社会をやめて共同体感覚の社会をみんなでつくっていきましょう!

真の正義の条件は古来から普遍的なモノなのです。
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